台湾

蔡英文次期総統「尖閣諸島は台湾領」発言糾弾抗議行動

蔡英文次期総統「尖閣諸島は台湾領」発言糾弾抗議行動
日時:平成28年1月21日 11時
場所:台北駐日経済文化代表処
主催:自虐史観撲滅実現を目指す国民会議

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台北駐日経済文化代表処に対し、抗議行動終了
関係者が直接対応してくれたことに敬意を称す。
礼儀をわきまない下劣な三等国家中国、韓国両大使館職員は猛省すべし。


ちなみに抗議街宣の様子の動画はネトウヨ保守の欺瞞や弱腰を大いに非難したバチが当たったのか?(笑)
機材トラブルが起こり撮影できていなかったので動画投稿はありません。
まぁ、大したことは一切言っていないので必要ないのですが(笑)
 

今後の日台関係にプラスになるような政策を行われる事を強く望みます。

抗議文
台北駐日経済文化代表処で勤務する関係者の皆様にはこの国際社会混迷の今日において日頃から安定した日本台湾友好関係を支えるべく昼夜問わず懸命に働かれていること、まさに感謝にたえない。
貴国関係者を敬愛している上でこの訴えをさせていただくことをご理解いただき抗議内容をお聞きいただきたい。

蔡英文次期総統誕生したことについてお喜び申し上げる。
より一層の日本台湾の良好な関係樹立を期待する。
しかし、蔡英文次期総統による我が日本領土、尖閣諸島は台湾領土発言は日本国民として座視できない発言である。

尖閣諸島は日本固有の領土である。
尖閣諸島の存在は明治以前、すでに日本、中国、両国で知られていた。
15世紀には中国の文献で釣魚島の名が確認できるのだが島の存在を知っているからといってそれで領土領有権が認められるわけがないのは誰もが分かる話である。
日本においても少なくとも江戸時代には文献上に魚釣島が記載されている。
論じるべきポイントは国家として尖閣諸島を領土として統治してきたかである。
時をさかのぼること1885年福岡県出身の実業家である古賀辰四郎が尖閣諸島の調査を開始した。
10年の歳月をかけてどの国の領土でもないことを確認。
それを受け、1895年、日本政府は尖閣諸島の日本領土の編入を閣議決定した。
1896年、古賀辰四郎は日本政府から、魚釣島、久場島、北小島、南小島を30年間無償で貸し与えられ、魚釣島に鰹節工場を建設するなど開拓に着手する。
1904年、日露戦争の特需で防寒用衣類の原料となる海鳥の羽毛採取が盛んになる。最盛期、魚釣島には99戸248人が暮らしていた。
1919年古賀辰四郎が死去。息子の善次が事業を引き継ぐ。
1919年魚釣島に中国漁船が漂着。乗員を島民が救出する。
翌年、中華民国長崎領事より感謝状が贈られるがそこにはしっかりと日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島と書かれている。
現在、中国や台湾が尖閣諸島の領有権を主張するとき、尖閣諸島は台湾に属する島だという論理を持ち出すが当時の中国が尖閣諸島は沖縄県に属していると認めていたのである。
この感謝状は尖閣諸島が日本の領土であることを国際的にも認められていたという決定的な歴史資料である。

その後1932年、日本政府は魚釣島、久場島、北小島、南小島の4島を古賀善治に売却する。
1940年戦況の悪化により尖閣諸島から住民が撤退。
1946年GHQが尖閣諸島を含む南西諸島の施政権を連合国に移す。
1951年サンフランシスコ平和条約に調印、尖閣諸島の施政権はアメリカの手に移る。
1958年高等弁務官布令20号に基づきアメリカが久場島を軍用地に指定。古賀善治と米軍との間に年間1万1104ドルで借地料契約が結ばれる。
1968年国連アジア極東経済委員会が東シナ海の海底を調査。翌年、埋蔵量の豊富な油田がある可能性が高いと発表。
これを受け、中国、台湾はいきなり尖閣諸島の領有権を主張し始める。
1969年沖縄県石垣市が、魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島の5島に標識を設置する。
1971年沖縄返還条約締結。翌年、沖縄諸島とともに尖閣諸島も施政権が日本に返還される。
1972年古賀善治が埼玉県の実業家に北小島、南小島を譲渡。
1979年古賀善治死去。妻が魚釣島を埼玉県の実業家に譲渡。日本青年社が魚釣島に灯台を設置。
1997年当時新進党の西村眞悟議員が国会議員として初めて魚釣島に上陸。
2005年日本青年社が設置した魚釣島灯台の所有権が日本政府に移譲されて以降、海上保安庁が管理する。
2010年尖閣諸島久場島付近で中国船が海上保安庁の巡視船にわざと衝突。
海上保安庁が犯人を捕らえるも当時の菅直人政府は中国の脅しにおびえ犯人を釈放、国民が払った税金でわざわざ中国に帰国させる。
2012年9月11日、日本政府は埼玉県の実業家から魚釣島、北小島、南小島の3島を20億5千万円で購入し、日本国への所有権移転登記を完了した。
これが尖閣諸島の歴史である。
その中には中国による尖閣諸島統治の形跡など全くない。
歴史に無知な中国人の中には尖閣諸島は日清戦争の戦後賠償で奪われた土地だと戯言をぬかす者もいるが先ほど言ったように尖閣諸島の日本領土の編入は日清戦争の戦後賠償とは一切関係ない。
それは下関条約の内容を見れば明らかである。

台湾の国土領海は狭く、占有漁業エリアが十分に確保できない問題は痛いほどわかる。
私も日本台湾間で漁業協定を結び、両国の漁業発展を強く望むものである。
しかし国土領有権主張と漁業権主張は全く違うものである。

日台友好もちろん大事。
しかし友好関係を大事にするならなおさら両国間にある問題点を解決するために努力しなければならない。
よく日台問題を訴えると「日台関係を大事にしたいからそんな問題は口にするな!」といった批判?を聞くが、ではそんなことを言う人間は自身の対人関係であの人とは以前、金銭関係、対人関係で問題があったが友好関係を大事にしたいから問題も忘れましょうなんて言うのか?
絶対言わないのではないか?
それが国家間の話になるという事が変わるのはおかしな話である。
友好関係を築きたいのならその前に両国間にある問題点を解決し、その後で友好関係を築くべきである。

中華人民共和国は尖閣諸島近辺に眠る地下資源を日本から奪い取るための嘘、恐喝の類を繰り返す国家主導による強盗詐欺軍団そのものである。

日本国民はこのような犯罪国家の犯行に対し断固戦い、私たちの財産である地下資源、そしてわが領土を死守することを本日宣言するものである。

台湾はそんな犯罪国家、中国と同じ行為を行うつもりなのか?

台湾政府は歴史を学び直し、国民を再教育せよ!
台湾政府は日本領海の地下資源を奪い取るために世界各国に嘘をまき散らし、国際平和をぶち壊す中国と同じ行為を真似する事をやめろ!
台湾政府は日本との友好関係を維持したいのなら今すぐ尖閣諸島の領有を口に出すな!
台湾政府は日本国民がいつまでも尖閣諸島の領有発言に黙っていると思うな!
台湾政府が今まで以上に日本台湾友好関係樹立に力を尽くすことを強く求める!
平成28年1月21日 
自虐史観撲滅を目指す国民会議 

台湾滞在記

秋の風景を愛でる余裕を与えてくれることなく初冬を思わせる寒さを感じさせた本年の秋でしたが皆様、体調を崩されることなく元気でお過ごしでしたでしょうか?

私は10月29日から1週間、台湾に行ってまいりました。
なぜこの時期に旅なんだ?
なぜ台湾なんだ?
という声もあると思います。
理由は以前台湾に行ったときの政権は民進党政権でした。
国民党政権になって国民生活がどう変化したのか?
それを見て確かめたかったのがひとつ。
二つ目は理由が重なりますが台湾には日本でいう首相官邸に当たる総統府が一ヶ月に一日、外国人を含む一般人に開放される日があります。
この日は総統が就任する際に宣誓を行う部屋や、総統と各国首脳等の来客が面会する応接室なども見学でき、普段は撮影禁止の総統府ですがこの日は撮影もできます。
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国民党政権になってから民進党政権と比べどう自国をPRしているのか?見比べてみたかった気持ちがありました。
三つ目は今、世間を騒がしている自称愛国陣営の市民団体、またその支持者が嫌韓ブームと称し朝鮮民族、風習文化=すべて悪、支那民族、風習文化=すべて悪と叫び断交、外国人廃絶を訴えていますが私はこの意見には賛同しておりません。
断交とは文字通り、交流を断ち引きこもる事です。
彼らは良く【国益】と口にしますが国益は堂々と国際社会とやりあい、日本に利益を引っ張ってくることではないでしょうか?
もし断交したら外交交渉も困難になります。
交渉もできない状況で他国から利益を日本に持ってこれるのでしょうか?
この疑問を感じているときに蜷川正大先生の著書である「師・野村秋介」の中の一文を読み、感銘を受けました。

「日本から外国を眺めるのではなく、外国から日本を見つめることも大事だということを・・・」

前記の通りほかにも理由がありましたが、この言葉を胸に抱き日本を飛び出したことは否定いたしません。

日本には英霊を祭る追悼施設としまして靖国神社がございますが台湾にも忠烈祠という英霊を祭る追悼施設がございます。
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なぜ台湾の英霊が祭られている追悼施設に訪れたのかと言いますと、戦後ずっと英霊施設でありながら悪者扱いされ、首相や閣僚が参拝しようとするだけで中国や韓国、またその国のスポークスマンに成り果てたマスメディアから批判される日本の英霊追悼施設、靖国神社を今一度、別の視点から見つめたく思ったのが理由です。

忠烈祠は中華民国国防部が管轄し陸軍、海軍、空軍の三軍から選び抜かれたエリート兵が衛兵として英霊を守っています。
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衛兵が交代で大門と大殿の守護しているのですが、任務に就いたら最後、1時間は微動もできず、まばたきも控えるよう指示されるとのこと。そのため国防部のお世話係が側に控え、衛兵の汗を拭いたり制服のしわを直したりしています。
私は軍隊をヒーローのように賛美したりするつもりはありませんが、国家が英霊に対し敬意を表し軍が英霊を守るという形は日本も見習うべきではないかと思います。

国家が英霊に敬意を持たなければどうやって国民の心に英霊に感謝し敬意を持つ心を持たせることができるのでしょうか?
英霊の一人一人の犠牲があって私たちの今の人生、生活、そして日本の伝統や文化が現在まで存続していることを心に刻まねばと改めて感じました。
その為には日本国家も今までのような他人事は改める必要があるのではないでしょうか?

台湾では夜や早朝に閉店後開店前の店舗前や大通り交差点などで屋台が出ます。
スペース有効活用としては合理的ですね。
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しかし訪問の旅に数が減っていく、また台湾料理とは別の外国料理店が参入して昔からある台湾屋台料理が姿を消して行っています。
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台湾には今回で4回目の訪問で滞在日数を数えると約一ヶ月になりました。
今回もビル建設工事がいたるところで行われておりました。
開発や海外企業の進出が活発で訪問の度に進化していく街並み。
しかし同時に失われていくものも多くあるのではないでしょうか?

訪問の度に訪れるお店や屋台のかたの元気な姿を見かけると懐かしく嬉しい気持ちになりますが姿を見かけない方や無くなった店も多々ございました。
進化は快適をもたらしますが快適だけが私たちの豊かさや幸福の指標、パロメーターでしょうか?
昔からある台湾の良き習慣、民衆文化は失う事なく、いつまでもあり続けて欲しいと感じた旅でありました。
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次に来るときはまた、新たな街が生まれ今あるものが失われていると思います。
まさに旅は一期一会
食べた食事、寝たベッド、歩いた街、そして出会い、言葉や心を触れ合い親切にしてくださった多くの台湾の方々。
次また再会できるとは限らない。
台湾での出会いに対し深く感謝し再会を願いながら帰国した次第であります。

我愛 台湾! 再見!
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桑野しげきの主張
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