8月14日に我が日本国政府、安部内閣は戦後70年安倍首相談話を発表しました。
発表されるまで内容に【謝罪】や【反省】が入るのか?入らないのか?といった憶測がかなり飛び回り、様々な組織、勢力がいろいろと発言されていました。
当会も本年6月に内閣府にて内閣総理大臣 安倍晋三に宛てた戦後70年安倍首相談話に対する要請文を提出行動を行いました。
総理官邸に対し戦後70年安倍首相談話に対する要請文を提出

http://jigyakusibokumetu.blog.fc2.com/blog-entry-74.html

そして、発表された戦後70年安倍首相談話を一通り読んだ感想ですが、納得できる内容とは言えないですが、まっこんなものでしょうといったものでしょうか。
最初に良い点

・【謝罪】や【反省】を入れることを強く望んだ勢力に阿って(個人的にそんな必要性はないと思いますが)【謝罪】や【反省】を明記しつつ曖昧にし日本が謝罪するというように読み取れない文言にし、反日勢力に活用する道具にできないように作成されている。

・道徳的な文言になっているので反対や批判する側を逆に悪人に仕立てられるように書かれている。逆に言えば反論できない作りになっている。

悪い点というか納得できない点
この談話を検証された方からお聞きし、教わったことですが戦後レジームとは戦後体制、つまり戦勝国が作った正義観や社会秩序、敷いてはポツダム宣言や東京裁判史観のレールに乗った社会秩序になると思うのですが首相談話を読み直すとこの戦後レジームにのった価値観で語っている部分が多い事が分かります。
例としまして
・何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実~これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります

・日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが~
・国際秩序への挑戦者となってしまった~

とありますが今の国際秩序は東京裁判史観を主として成り立っているので戦後レジームからの脱却を実現するには提言された方の申す通り、国際秩序への挑戦者となり打倒しなければ不可能であると思います。
現にいまだに国連には日本に対する「敵国条項」が存在します。
この「敵国条項」を撤廃しない以上、国際社会(国連)上の【戦後】は終わらず、日本は「敗戦国(敵国)」という立場からも脱却することができず、永遠に当時の連合国と対等な立場になれない事を意味する。
そもそも戦後レジームからの脱却とは国益を考えたうえでの発言だと思いますが今回の談話では国連に対し、「敵国条項」の撤廃を訴えた箇所は一か所もありません。
一体、何のための談話なのでしょうか?
「敵国条項」を粉砕しない以上、戦後レジームからの脱却など絵に描いた餅になることすら、安部内閣関係者誰一人気付いていないのでしょうか?
さらには最後の箇所、<終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて~>とありますが戦後レジームからの脱却というのにいつまで大東亜戦争の戦後にこだわり続けるつもりなのでしょうか?
大東亜戦争の後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と国際社会で戦争は多くありましたがなぜ、大東亜戦争の「戦後」だけにこだわるのか?
私は理解できません。
こんなに「戦後〇十年」とかいう談話や行事を行っている国は日本以外であるのでしょうか?
このこだわりこそ、戦後レジームからの脱却ならぬ戦後レジームの固守につながるのではないでしょうか?

安倍内閣は「戦後レジームからの脱却」を放棄したのでしょうか?
それならそうで「戦後レジームからの脱却を放棄しました」と声明を出すのが誠意ある態度だと思うのですが・・・


私としましては敬愛している先生が記事に書かれている
「先の大戦での「反省」と「謝罪」は当然しなければならない。しかし日本人が行うべき「反省」とは、欧米社会の植民地支配の撤廃と大東亜の共栄の大理想の下に戦ったが、事志とは違い敗戦の憂き目にあってしまったこと。さらに「後に続くを信じる」と笑って散った特攻隊の英霊の純忠なる精神を、戦後の日本と日本人が評価していないことへの「反省」。更に日本を信じて共に戦ってくれたアジアの諸国民に、その大理想を現実のものとすることが出来なかったことの「謝罪」。これ以外にはない。」
この一文ないしそれに準ずる言葉は入れてほしかったなと思います。

私たち日本人が日本を守る為に散っていった英霊の皆様に対する感謝の念をいつまでも心に刻み、忘れないためにも



参照資料
<安倍晋三 内閣総理大臣談話>(全文)
https://www.jimin.jp/news/prioritythemes/other/129607.html
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍晋三