元長野県知事の著書を読むと、長野県では【ピンピンコロリ】と言う言葉があるということです。
年をとってもピンピンしていて、元気だな~と思ったらコロッと亡くなってしまうことを言うようです。
長野県佐久市にある「ぴんころ地蔵尊」
ぴんぴん(健康で長生きし)ころり(寝込まず楽に大往生する)という願いから「ぴんころ地蔵尊」と命名。
健康長寿にあやかろうと県内外から多くの人が“ぴんころ詣”に訪れる、全国的にも有名な観光スポットです。
このようにありたいという思う方も多いようですが、この風潮を人権派だ、知識人と称する人間が「介護、世話からの忌避」と非難しているようですが、意味わからんですね。
おそらく、多くの方が人に迷惑をかけないで人生を終わらせたいと思っているのではないかと思いますがどうでしょうか?
それはいいとして、なぜ、今の医学的にも情報網が発達している状態で、地域によって平均寿命に差が出てくるのか?
それは食生活の違い、生活環境の違いが多大に影響していると思います。
食育と言うと今までは、おいしく、楽しく、恵みと生産者の方に感謝し残さない、と言ったことだけが取り上げられてきましたが、地域の食習慣を研究し、何が日々の健康生活にいいのか?今までの栄養学の常識を今一度精査し直す時期に来ているのではないでしょうか?
長野県上田市にある真田中学校は以前、いわゆる荒れていた学校で、ここで校長が給食をパン食を発芽玄米混じりの米食に切り替え、コメも地元、野菜も卵も果物も地元の穫れたてを使ったメニューに切り替え、結果、荒れていた学校は非行がゼロになり、平均学力も向上したそうです。
荒れていた学校が文字通り、健全な学びの場になったとのことです。
「食」について、学校給食を和食に変えてみたら、長野県の真田中学校の経験から学ぶ
https://www.youtube.com/watch?v=Au2okwkeCzQ
戦後、アメリカが給食制度を定着させました。
昭和22年に全国都市の児童約300万人を対象とした学校給食が始まり、昭和27年には、全ての小学校を対象に給食が始まりました。
その時の国民の食事や栄養事情からしたら必要だったかもしれません。
最初はアメリカから指導された脱脂粉乳とコッペパンが中心の食事でした。
その後、昭和30年代には、肉食中心の洋食が広く普及していきました。
しかしこれは結果として、国民から伝統的な日本の健康食を奪い、子供の味覚を強引に変えさせ、洋食を好むようにさせ、日本へ洋食品を大量に輸入させる為の米国の先を見越した策略でもあったのではないでしょうか?
その結果が子供たちの心身を蝕み、非行化が顕著になり、がんをはじめとする成人病や食品アレルギーの増加です。
現に戦後の日本社会の変化として
・血栓やがん、糖尿病などの、成人病の激増。
・精神疾患が爆発的に増加。
・慢性的に体調不良を訴える人の増加。
・子どもの体力が低下しキレやすい子供の増加。
・アトピーやアレルギー疾患が増大。
これは戦後の日本国民の食生活の変化が影響していると思います。
学校給食は、そのような食事を全国の生徒に一斉に食べさせるので、大多数の子どもの味覚を異常にさせてしまいます。
その結果、生活習慣病、成人病が爆発的に増えました。
昔、がんは老人病と呼ばれていましたが、
今は20、30代でガンで亡くなる人が増えています。
たかが1日に1回の給食と思われるかもしれません。
しかし、味覚を作る大切な時期に、歪んだ食生活を植え付けられる恐れも学校給食は持ち合わせています。
それらの事実を真摯に受け止め、誤った食生活の改善を社会として真剣に取り組んでいけるかどうかが、長寿で、健康でいられるか大きなポイントとなります。
今後、これを防ぐには国は何をするべきなのか。
それは日本国民、特に子供達に日本人本来の健康食である伝統和食を戻し、病気をしない心と体を養うことを推進することこそ政治が力を入れるべき政策ではないでしょうか。
今、医療費が肥大し、社会保障、医療の充実の名のもとに消費税増税が言われていますが、それで本当に問題が解決するのでしょうか?
国民が病気をしない環境作りこそ真の予防医学であり、将来の日本国の医療費の削減に繋がる、いま政治がやらなくてはならない政策だと私は思います。
現代医療業界、製薬会社も、病人とは彼らにとってお客様であり、いかに利益を生むか、すなわちいかに病人を増やすかを考えています。
ここに票欲しさの政治家が乗っかり、国民の金を医療界に垂れ流し、国民を医療漬けにしているのが現状です。
本来、医者とは患者の病気を治すことであり、薬の長期大量投与ではありません。
いかにしたら、心も体も健康な国民を形成するか。
その答えは、食習慣を中心とする生活環境の改善しかありません。
成長期に何を食べるかで、人生の期間、健康を左右します。
国民が健康でいられるか、病弱かで国家の社会、経済、産業も伸びるか衰退するか変わってきます。
国家が占める社会保障の負担も変わり、その結果、数十年後の日本の国力にも影響が出てきます。
国民が元気に活躍することが国家を発展させる国力の根本です。
たかが給食と思われるかもしれませんが、次の時代に国家を支える子供たちに誤った給食を食べさせ続けることは、国の力を衰えさせ、崩壊させる原因です。
いまこそ、日本の伝統食習慣の原点に返るべきなのです。
自然なもの、季節のもの、その土地で摂れるもの、伝統料理。
私たちの先祖代々、先人たちの知恵の結集によって受け継がれてきたものを後世に伝える事こそが、これからの日本を守るため、私たちで守りたいものです。
桑野しげきの政策提言としまして、食育向上で心身ともに健康な街の実現として、 食生活の改善、栄養学の既成概念の検証、学校給食の見直しによる食育向上で【日本一健康で長寿な街づくり】【明日の日本を担う子供たちの育成】を目指します。
参照記事:給食をコメに変えたら、非行・犯罪がゼロになった!? ——長野県上田市の学校給食革命
https://www.chichi.co.jp/web/20181124uedashi_kyusyoku/
長野県上田市真田町。以前は子供の非行・犯罪が絶えなかったというこの小さな町は、いまや全国でも抜きんでた学力を誇る一地域へと変貌を遂げた。この変革の立役者が、上田市元教育委員長の大塚貢氏である。大塚氏はいかに子供たちの心を掴み、健康を取り戻していったのか。その一部始終について語っていただいた。
♦荒み切った学校に赴任して
私が中学校の校長になったのは、平成4年でした。生徒数1200名の大規模校でしたが、その荒れ方はもう非行なんてものじゃないですね。立派な犯罪です。強盗、窃盗も多いです。学校の廊下をバイクで走ったり、窓ガラスは次から次へ割られ、不登校も常に60~70人いました。
そこでまず、取り掛かったのは授業の改善でした。徹底的に研究授業をやって、「こうしたらどうか、ああしたらどうか」と先生同士が互いに切磋琢磨し合う。
またそれぞれが教材研究や指導方法を研究していくと、次第に授業のレベルが上がっていきました。
授業がおもしろいかどうかのバロメーターは、なんと言っても子どもの姿勢です。
机に伏している子がほとんどいなくなり、みな姿勢を正して授業に臨むようになりました。
いま、学級崩壊とか子どもが本気で勉強しないとかいいますが、99%は授業がつまらないのを子どものせいにしているだけだと思います。
♦問題の根源は食にあった!?
朝礼で子どもたちが貧血でバタバタ倒れたり、遅刻したり、登校しても保健室にいるので、これはもしかしたら食と関係があるのではないかと思いました。平成4年の頃で、まだ「食育」などという言葉もなかった時代です。
全校生徒の食の調査もやりましたが、朝食を食べてこない子どもが38%。
その子たちもやはり非行や犯罪まがいのことをしたり、いじめなどに加担していたりする。あるいは無気力な生徒が多かったです。
ただ、朝食を食べていると答えた生徒にしても、実態はほとんどがパンとハムやウインナ、それと合成保存料や着色料、合成甘味料の入ったジュースです。
そして夜はカレーや焼肉が多かったですね。
こういう食事ばかりではカルシウムやミネラル、亜鉛やマグネシウムといった血管を柔らかくしたり、血をきれいにする栄養素はまったく摂取できません。
だから子どもたちの血液がドロドロで、自己コントロールができない体になって、普段は無気力でありながら、突如自分の感情が抑えきれなくなってしまう。
いくら「非行を起こすな、いじめるな、勉強を本気でやれ」と言ったところで、体がついていかないのです。
そういったことをPTAの席でお話しして、「なんとかバランスのよい食事をつくってください」と呼びかけたところで、いまの若いお母さん方にはまったく聞き入れてもらえませんでした。
♦給食をコメ主体に切り替えた
そうして赴任した翌年の平成5年からは、週6日のうち5日間を米飯給食に切り替えました。米飯もただの白米ではなく、血液をきれいにし、血管を柔らかくしてくれるGABAが含まれる発芽玄米を10%以上加えたのです。
7か月後あたりから学校全体が落ち着いてきましたね。いまでもよく覚えているのが、4月のPTA総会の前に私が1時間ばかり校舎のタバコの吸殻を拾って歩いたところ、スーパーの大きなビニール袋がいっぱいになったのです。
それを総会で見せたところ、保護者たちから、「大塚校長が来てから風紀が乱れたんじゃないのか」と言われましたがね、米飯給食を始めてから7か月後には、吸殻が1本もなくなりました。
1年半から2年がたつ頃には、非行・犯罪はゼロになり、同時に子どもたちの学習意欲も高まっていきました。
荒れていた時は図書館なんて誰も利用しませんでしたが、子どもたちが変わってきてからは、昼休みは図書館の120席がすぐに満席、座れない子は床に腰を下ろして読んでいるのですが、そこもいっぱいになると廊下にまであふれ出てくるような状態になりました。
もちろん、図書館司書が本に関するクイズを出したり、先生の読書感想文を校内放送で流したりと、様々な工夫をしましたが、やはり食によって子どもの心と体が変わってきたことが大きいと思います。